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小学1年生の時です。

同じクラスにある男の子がいました。

彼はアトピーがひどく、両腕、両足、首にも

包帯が巻かれていました。

性格も内向的で、ほとんど自分から話さない男の子でした。

クラスのみんなは、そんな彼を無意識に、避けてしまっていました。

ある朝、朝の会で先生が真剣な顔でこう言いました。

君たちに真剣な話があるから、よく聞くように。

〇〇くんが、寂しいと言っているよ。

君たちなら、その理由は分かるだろう。

分からないなら、先生はがっかりだ。

今この瞬間から、自分がどうすべきか考えるように。

以上。

みんな、ビックリした顔をしていました。

まさか朝の会で自分の打ち明けた話をされると思っていなかったであろう彼は、下を向いていました。

泣きそうな感じでした。

実は、今はほとんど治りましたが私もアトピーですので、子どもの頃は包帯をして寝る夜も多かったのです。

だから、私より症状が重い彼の身体の痛痒さ、

そして、見た目やおとなしさ故にみんなから避けられている彼の、心の痛痒さも想像しました。

先生の言葉、そして、彼の泣きそうにうつむく姿…。

それで初めて、私もなんとなく、「空気」に流され、彼の存在を無視していたのだと気付きました。

6歳ながらも、猛烈に反省しました。

先生が教室から出た瞬間、教室はシーンと静まり返り、誰も席を立てずにいました。

その時、私はがまんできず、咄嗟に彼のところに行きました。

「優しくできなくて、今までごめんね。許してくれるなら、友達になってくれる?」

と、頼んでみたのです。

今なら、もっと良い言葉がかけられたかもしれませんが、まだ6歳だった私には、それしか言えませんでした。

すると、彼はぎょっとした顔をして私を見つめていました。

そしてしばらくそのまま沈黙。

「キタノ さん、ありがとう。」

彼の声をはっきり聞いたのが、それが初めてでした。

彼の小さな声の、「ありがとう」が教室に響いた瞬間、他の子たちも続々と彼の席に集まってきて、

「なんか、ごめんな。」

「私の名前、〇〇っていうの。」

「それ(アトピーのための包帯)、痛いのか?大丈夫か?」

「包帯してるから、お外で遊んじゃいけない子だと思ってた。誘ってもいいの?」

「これ、あげる。(当時流行っていたバトルえんびつ)」

もう、

彼はひとりではなくなりました。

みんな、

嬉しそうな顔になっていました。

いじめ。

これは、「空気」から始まることが多いです。

その空気とは、「なんか、みんなと違う」という、その人に対しての全くの「無知」から生まれます。

とはいえ、いじめられている、無視されている。その当事者にとって、

みんなの前で先生が、本人が相談したという事実を公表するというのは、正直、かなり怖いしリスキーです。

あの対応が学校や先生として正解かどうかは、わかりませんし、今はほとんど無い対応かと思われます。

だけど、先生に相談した彼の勇気。

これは本当にすごいと思います。

今でも尊敬しています。

なかなか出来ることではなかったはずです。

彼があの先生に相談し、先生がみんなの前で発言しなければ、少なくとも私は、

自分にとって「よくわからない人」を、無意識にもいじめる側の人間に育っていたかもしれません。

結局、彼の勇気は、私を、クラスを、救いました。

私はこう思います。

「よく分からないなら、

知ろうとする努力をする。」

そのシンプルな行動ひとつを皆ができたら、

「無知」から生じる、

無駄ないじめは、

大幅に減る。

それに気付かせてくれたのが、彼でした。

6歳だったからこそ、みんな素直に、

「こういうのって、良くないな。」

って気づけたのかもしれません。

だけど、6歳にわかることが、大人でさえ分からないから、いじめって、会社や地域でも起こり得るのです。

そんなの、馬鹿馬鹿しいと、思いませんか?

その後、私は小学2年生で転校したのですが、高校生のころ、たまたま通りかかった地元のお祭りで彼と再会しました。

なんと、彼の方から私に気づいて、声をかけてきてくれたのです。

「もしかして、喜多野か?」と。

元気そうでした。しかも、仲間と来ていて、彼が中心になって、楽しそうにしていました。

「元気そうじゃん。喜多野、どこ高入ったの?」

「学校、地元じゃないけど、元気だよ。」

「そっか、」

「うん」

「じゃあ、また」

「またね、元気でね」

それだけの会話でしたが、

とにかく彼が元気そうで、

「寂しくなさそう」で、

私はすごく嬉しかったことを覚えています。

どうか年齢関係なく、身近なところに、自分にとって、「よく分からない」人がいても、無闇に避けないでください。

今、「寂しい想い」をしている人は、誰にでもいいから、「寂しいんだ」と、打ち明けてみてください。

私は、その秘めた想いを聴きたい。

そして、少しでも力になりたい。

その願いが、

今の仕事をしている理由の1つです。

悪い空気は、

無責任な「無知」から生まれ、

良い空気は、

互いに「知り合う」気持ちと行動からつくられます。


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なんとなく、ふと今日思い出したことがあり、久々にブログに落とし込んでみようと思いました😊



あれはいつだろう、そんなに前じゃなくて、ほんの3ヶ月くらい前のことです。



私は仕事仲間と歌舞伎町に昔からある喫茶店でお茶をしようと、百人町方面のオムニ食堂で激辛韓国料理を食べた後、旧コマ劇前(今ではゴジラ像がある場所の横です)方面に向かって歩いていました。



すると、子どもがひとりでうろちょろするような場所ではないのですが、4〜5歳だろうと思われる男の子が慌てふためいた様子で右往左往していました。



「あれ?迷子かも?」



そう思った瞬間、その男の子は急に車道(交番前のあの道です)に向かってダッシュ。



(危ない!)と思った私は気付いたらダッシュして男の子をつかまえ、抱き抱えていました。



仕事仲間は、元々歌舞伎町に詳しい人で、私が言わずもがな、交番に向かって人を呼びに向かいました。



私はその間、もしかしたら親御さんが探しているかもしれないので、人通りの多い旧コマ劇前の広場に連れて行き、男の子の前でしゃがんで、私はいくつかゆっくりと質問をしました。



「ぼく、お名前は?」

「お母さんと一緒だったかな?」

「迷っちゃったかな?」



どんなに優しく、ゆっくり質問しても、彼は首を横に振って答えてくれません。



土地柄、日本語が理解できない可能性もありました。観光客の可能性も十分ありました。



でも、彼の不安げな瞳がわずかにプルプル震えているように見えました。

(泣くの、我慢してるんだな。)私は思いました。

(泣いてもいいのに。)とも思いました。



・・・しかしまぁ、なかなか交番のお巡りさんはやってきません。



そこで、まずはこの子が泣いてもいいくらい、安心してもらわないとな。

なんとなく、そう思い、彼の両手を私の両手で包んだり、さすったりして、温めました。



「寒いよねぇ、てって冷たいもんねぇ。」

「大丈夫、大丈夫。」



そうしているうちに、男の子は私にくっついてきました。

だから、自然とまた、抱っこをしました。



その状態で、「お名前、言えるかな?」と聞いてみました。



すると男の子は初めて声を発してくれました。



「それは言っちゃダメ、って言われてる。」



「そうかそうか、わかったよ。」



そう答えながら、私はある意味安堵しました。

なぜかというと、名前を言ってはいけないと教えられていることには何かしらの背景があるのでしょうけれども、彼が慌てふためき探し求めるほどの身近な大人が、確かにいる。ということがわかったからです。



もし、その大人から逃げたかった場合、反応が違ってくると思いますので、きっとこの近くにこの子を探している(そうであって欲しい)親、或いは親的な大人がいる。そう思いました。



さらには、衣服も目立った汚れもなく、ちらりと見えた歯は磨かれているようでしたし、髪の毛も臭いなく、抱っこしながらそれとなく確認しましたが、身体に痛みを訴える箇所はありませんでしたから、ネグレクトや身体的な虐待の可能性は低いと思いました。



名前を答えないでいる話に戻しますが、



「お母さんに、そう教えてもらったのかな?心配してくれてるんだね、ぼくのこと、ね。」



私は抱っこしながら彼に声をかけていました。



すると、



「○○(彼の名前)。」



と、突然名前をつぶやいてくれたのです。

※最初からお巡りさんの前にいましたら、きっと余計に名前は打ち明けなかったような気がします。



「かっこいー名前じゃーん!いいね、強い子だ。えらい偉い。」



そんなやりとりをしていましたら、彼の小さな手が私の肩甲骨あたりに食い込むのを感じました。



そしてやっと、仕事仲間がお巡りさんを2名連れてきました。



ひとしきり、男の子を保護した経緯と、男の子の名前を伝え、私の連絡先だのなんだの聞かれましたのでお答えし、お巡りさんに連れられてゆく男の子に、



「じゃあね、大丈夫だよ。バイバイ。」



と言って、別れました。



それから交番と程近い喫茶店で、私たちは2時間ほど粘ったと思います。



なぜなら、「名前を言ってはいけない」と子どもに教えている親御さんならば、再会できても私の連絡先に一報があるとは考えられなかったからです。



コーヒーを2杯、2時間後、私たちは男の子の安否を確認しに交番を尋ねました。



無事、お母さんと再会でき、出て行ったということでした。



ひとまずは、それだけで一安心でした。

しかし、彼がどんな生活をして、これからどういう青年に、大人に成長していくのか。



彼を数分だけでも抱っこして、ついにはこっそり名前を打ち明けてくれた思い出が、時折私を、彼の将来に思いを馳せらせます。



あの子は日本語を流暢に話していましたから、日本での生活が長いか日本で生まれた子でしょう。

日本人かどうかなんて、最早関係ないのです。



あの子のお母さんを探す瞳の震え。



あれが、子どもが母を、親を想う原点のように感じました。



たとえ、探しても探しても、心の中で安堵を抱ける母、父がいないという方でも、

きっとかつては、求め続けていた頃があったのではないでしょうか。

その探し物が、仮に見つからない、見つからなかった方もいると思います。

そんな時は、自分の名前を紙に書いて、眺めてください。

それだけは、あなたが生まれた時、親に限らず、誰かあなたの誕生を真剣に捉え、

想いを乗せてのこしてくれた贈り物です。

その贈り物を、大切にしてくださいね。





ではでは、ブログとなるといつもこう、長くなってしまうのですが!

ここまでお読みくださり、ありがとうございます🌸



又いつか、思い立ったらブログ更新いたします😊💡


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久々のブログ更新となります(^^♪


先日、Instagramの投稿にて、「頭を空っぽにする」ことにトライした理由とはなんぞ。


ということで、それをブログに書くと申し上げました手前、書こうと思います!(笑)


ブログまで引っ張っておいて、そんなことかい!

…とお叱りを受けることは覚悟の上なのですが。

その、理由とは…


「疲れたから」


でした!


とてもシンプルですよね、

我ながらそう思います。


でも皆さま、疲れた時って実際どのように対処されてますでしょうか?

これは結構大切なテーマだと思います。


又、自分が疲れていることに気付く事ができるか?それもまた、大切なことです。


そもそも、自分が疲れていること、或いは、限界きそうだな、という状態を把握できることはメンタルヘルスの維持のために重要なことなのです。


疲れの出方は人それぞれ違います。

①頭痛や胃痛など身体症状から出る

②気分の落ち込みやイライラなどの精神症状から出る

大きく分けると以上の2通りかと思います。


特に、②の精神症状から出る方は、結構な割合で、自分の疲れに鈍感です。

「え?敏感なんじゃないの?敏感だからすぐに疲れちゃうんじゃないの?」

と感じる方もいるかもしれません。


しかし、考えてみてください。

頻繁に精神症状が出てしまうということは、

「疲れが積もりに積もって消化してもしてもおいつかない程度になっちゃってるよ」

とも言えるのです。


つまり、「疲れたなぁ」とか、「このままだと疲れが出るなぁ」というようなサインを自分で気付くことに慣れていない。

だから知らず知らずのうちに、消化しきれないほどの疲れが蓄積し、ある時突然、病気や障害として噴出してしまう。

そんなパターンがよくあります。


昨日まで元気だった人が、ある日突然脳梗塞で…。という話はよく聞くかもしれませんが、そんなイメージです。

「実は疲れまくっているのに、気付かなかった。」ということです。


特に心の場合、脳梗塞や癌と違い、血液検査やMRI、CT、エコー検査等に数値も影も映らないため、自分で疲れを予測し、防ぎ、もし疲れが溜まってしまった時の対処を自分に合った方法で模索する必要があります。


そんなわけで、私の場合は10数年かけて、自分の「疲れ方」を模索してきました結果、

「疲れた時」には、「頭を空っぽにする」ということが有効だということが分かっていますので、その方法のレパートリーを増やしていこうと試みていた。ということです。


ちなみに私個人の、「疲れそうだな」のサインは以下の通りです。

・味の濃いものを無性に欲する

・体調が低気圧に過敏になる

・生理前1週間突入

・入浴が面倒に感じる(でも入りますよ!笑)

・無性に部屋の模様替えがしたくなる(実際、数日前にやりました。足の小指をケガしました…。)


そして、仕事や家事育児にも必要な、「臨機応変」という言葉。

何事も、常に全く同じトラブルというものは無いので、トラブルがどんな形で起こっても対応できそうな対処方法を色々と用意しておく。それでも対処しきれないなら、誰かの助けを借りる。

それは心身共に起こる、「疲れ」にも必要なことと言えます。


「疲れそう」なサインや傾向を把握しておく。

「疲れた時」の対処方を持っておく。

「疲れすぎて何もできない時」は、誰かの助けを借りてよい、ということを心に叩き込んでおく。(頼り方も、慣れが必要ですからね。少しずつ人に頼る練習もやってみてください。)


最後に、

「病は気から」

とは言いますが、要するに、疲れたら病気になりやすいんです。

疲れは悪い事ではありませんが、疲れにどっぷり浸からないようにすること、適宜消化していくことを大切に。

それが、「ゆるゆると」生活していく大きなポイントかと思っています(^^♪


それでは長々とお付き合い下さり、ありがとうございました☆


明日は花金ですよ~♪

…花金って、知ってますかー??

最近知らない世代も多いそうです…ちょっと寂しい(笑)


それではまた、気が向いた時にブログ更新させて頂きます!

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©Copyright2019 社会福祉士・「生きづらさ」カウンセラー/恋愛・夫婦関係カウンセラーKitano Nanae

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